日々の名残り~The Remains of the Days~

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

悪役の哲学~ 復讐は神に所属する。~

悪役の哲学。
光あるところに影あり。古今東西各ジャンルにおいてメインの主人公がいれば、必ず悪役がセットでいます。
また、フィクションだけでなく、歴史上や実生活においても必ず悪役と呼ばれる存在が居続けています。
あなたの人生を振り返ってみても、悪役とは言わなくてもあなたに敵対する人物、またはあなたの人生の妨げになる人物はいませんでしたか?
悪役の哲学では、悪役たちの性格、趣味嗜好や考え方、その生き方などを考察していきたいと思います。

HIRO92_tukinomieruoka-thumb-1000xauto-18044_20151207225447405.jpg
本日は、日本三大怨霊の一人「崇徳天皇」です。
日本三大怨霊とは、「菅原道真」「平将門」「崇徳天皇」の三方です。
三人の中でも、一番復讐に執念を尽くしたといわれているのが崇徳天皇です。
rtuyjhgf.jpg
崇徳天皇の生涯
顕仁親王(後の崇徳天皇)は日本の第75代天皇で元永2年(1119年)、三条烏丸の屋敷で、鳥羽天皇に待望の第一子が生まれます。
顕仁親王の母・待賢門院璋子(たいけんもんいんしょうし)は鳥羽天皇に嫁ぐ前から白河法皇(鳥羽天皇の祖父)に愛されていました。
しかも白河法皇との関係は、鳥羽天皇に嫁いだ後も続いていました。
その結果、璋子は顕仁親王をみごもったのでした。このことは鳥羽天皇も周囲の者も知っており、いわば公然の秘密でした。
つまり、崇徳天皇は不倫の子であったということです。
しかも、自分の祖父との不倫の子ですので生まれたときから鳥羽天皇は顕仁親王を忌み嫌います。(自分の子が叔父にあたるわけですから・・・。)
鳥羽天皇は顕仁親王を「叔父子」と言って忌み嫌いました。
白河法皇も顕仁親王が自分の子であることを知っており、何かと贔屓にします。
白河法皇は21歳の鳥羽天皇を強引に退位させ、わずか5歳の顕仁親王を即位させ「崇徳天皇」が誕生します。
Toba-Sutoku.jpg
ここまでは鳥羽天皇が一方的に可哀想な人ですが・・・。
白河法皇が亡くなると鳥羽天皇の復讐が始まります。
鳥羽上皇は、それまで白河法皇よりだった人々を左遷し、白河法皇から遠ざけられていた人々を復権させます。
さらに、崇徳天皇を罠をかけ、政治の世界から締め出します。
徹底した父の嫌がらせにグッと堪え14年耐えました。
跡取りのいない近衛天皇が眼病を患い17歳で亡くなると再び崇徳天皇に院政を握れるチャンスが巡ってきます。
しかし、再び鳥羽天皇の策略により崇徳天皇の弟にあたる雅仁親王を強引に帝位につけます。
これが歴史の教科書で習う後白河天皇です。
rtyuhgf.jpg
崇徳天皇は自らの運命を恨み失意のどん底に落ちます。
そこに摂関家の内部抗争に敗れて同じく失意の底にあった藤原頼長が接触してきます。
その後、後白河天皇-忠通(頼長の兄)  ×  崇徳上皇-頼長の対立関係へと発展していきます。
のち後の戦いで、後白河天皇に敗れた崇徳天皇ですが、それまでの天皇家の慣習としては、謀反を起こしても坊主になればすべて許されてきたので崇徳天王も坊主になるものの、後白河上皇は崇徳天王を讃岐の地(現在のうどん県)へ流刑します。
tuyjtui.jpg
讃岐で仏教に帰依した崇徳天皇は経を紙に一生懸命書き写し天皇家代々の極楽往生を祈念したものを京へ送りました。
しかし、天皇家はこれを受け取らずに讃岐に送り返しました。
それ以来、崇徳上皇は髪も爪も伸ばし放題で天狗のような姿になっていきました。
崇徳天皇は舌を噛んで血を絞り「※日本国の大魔縁となり、皇をとって民となし民を皇となさん」と書き残し血判し数日後に憤死。(暗殺説もあります)
※われは大魔王なり。天皇を権力の座から引きずり落とし、普通の人間に権力を渡してやるという意味。
thyuyjkloi.jpg
崇徳天王の呪い
弟の後白河天皇の身内に怪異が続きました。
・白河天皇の息子の二条天皇が在位中に23才という若さで亡くなる。
・息子の后である中宮、自らの女御が一月をあけずに若くして亡くなる。
・その十日後には孫である六条天皇までが13才で亡くなる。
・崇徳天皇の亡くなった翌年、京都の町の3分の1を焼く安元の大火が起こり。死者は数百人に及び、後白河天皇が暮らす御所にも被害。
翌年には次郎焼亡と呼ばれる火災も発生し、この二つの火災や天皇家に起こる相次ぐ不幸は、崇徳天皇の祟りに違いないという噂も広がります。

gtyujhgf.jpg
さすがの後白河天皇も崇徳天皇を手厚く祀りはじめました。
しかし、呪いは一向に収まらず、ついには平清盛たち平家が権力を握り、源氏の反抗、源平合戦、そして武士が政権を握るまさに「天皇を平民に平民を天皇に」という崇徳天皇の呪いが実現
それ以来、明治維新のころまで天皇家が 最も恐れた怨霊だったと言われています。
また、崇徳天皇の死を祀る100年ごとに式年祭があるのですが、その度に日本の基盤を揺るがしがねない天変地異・国家動乱が起きます。

今現在は京都にある白峯神宮に祀られている崇徳天皇
その呪いの強さから今現在ではパワースポットとしても人気があるそうです。
白峯神宮は球技全般およびスポーツの守護神ですのでスポーツをされる方はお参りに行ってみてはいかがでしょうか?
iiiuyt.jpg
同じことでも人は全くの他人にされた仕打ちよりも自分に近しい人間にされた仕打ちのほうを深く恨みます。
だからこそ、親族、夫婦の争いこそ醜いものになります。
お互いの関係の深さに比例して復讐心は強くなります。

崇徳天皇は、生前人柄が良く高尚な人柄であったそうです。そういった人ほど、怒らせると怖いですよね・・・。
自分の思い込みでこの人になら何しても怒らないからと無碍にしていると後々大きなしっぺ返しを食らいますので、人間関係においてまず相手を思いやる気持ち、許す気持ちは大事です。
でないと末代まで恨まれるかもしれませんのでご注意を・・・。

死んだ人間よりも生きている人間のほうが何倍も怖い場合が多いですがこの方は例外ですね。
ただ、有言実行の精神は見習うべきですね。



秋田県ランキングへ
↑1日1クリックで応援お願いします。





















スポンサーサイト

Newest

Comment

Leave a comment

Designed by Akira.
Copyright © 日々の名残り~The Remains of the Days~ All Rights Reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。